おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

生い立ちの記

階段落ち

二階建ての一軒家に住んでいた頃、 私は、定期的に階段から落ちていた。 3年に1回くらいの頻度だったように記憶しているが、 中でも物心つく前に落ちた時は、生死の境をさまよったらしい。 今のように、気軽にレントゲンを撮って診断することなど出来ない…

作文

私が通っていた小学校は、 作文教育のモデル校だったために、 たくさん作文を書かされた。 6年生の時は、3学期丸々全部、作文の授業だった。 自分が生まれてからの十数年間のことを順を追って作文に書き、 卒業までに、1人1人がそれを一冊の本にまとめた…

父の入院

父が倒れたのは、初夏の朝だった。 前日まで旅行していて、 久しぶりに家に帰り、盆栽に朝の水やりを済ませて、 一服しようと腰を下ろして煙草に火をつけたところで、 心臓発作に見舞われたのだ。 母は、人工呼吸を試みたが、すぐに諦め、 救急車を呼び、近…

父の油絵

父は、多趣味な人であった。 油絵、ゴルフ、熱帯魚、盆栽。 子供たちが小さいころは、よく油絵を描いていた。 画板を抱えて写生に連れて行ってくれた。 絵を描くのは、父と子供たちだけで、母は、描かなかった。 絵を描くのに飽きると、父の周りで母と遊んだ…

父の仕事 その3

父は、新しく会社を作るたびに、自宅を担保に銀行から借金をした。 自宅を借金の形に取られたことは一度もなかったが、 母は、気が気ではなかったようだ。 父自身は、借金を踏み倒したことは一度もなかったが、 父が貸した金は、ほとんど返してはもらえなか…

父の仕事 その2

信州の工場に行くことが増えて、父は留守がちになった丁度その頃、 父の弟たちが上京して一緒に住むようになった。 父の弟たちは、働きながら夜間高校に通っていたが、 幼いころは、よく遊んでくれた。 やがて、卒業すると、父の仕事を手伝うようになった。 …

父の仕事

自ら開発した電気部品を秋葉原の電気街で売り込むのが、 当時の父の仕事だった。 どこにも売っていないものだから、 その良さが伝われば、部品は瞬く間に売れた。 しかし、数か月後には、 大手の部品メーカーが、 類似品を格安で大量販売し始めて、 父の作っ…

父の戦後

終戦を九州で迎えた父は、復員して静岡の実家に帰った。 しばらくぶらぶらしていたら、 教員の仕事があると言われて、 理科と数学を教えることになった。 あまりやる気のある教師ではなく、 自然観察と称して、海で遊んだりしていたと聞いたことがある。 い…

父の戦争体験

父は、特攻隊員だった。 「永遠の0」で話題になったような飛行機乗りではなく、 海軍の特攻隊だから、 乗るのは「人間魚雷」だった。 出撃命令が下る前に終戦を迎えたので、 父は死なずに済んだ。 特攻隊には、志願したことになっていたが、 勿論、本意では…

亡父とオリンピック

亡父がよく話していた思い出話で、 オリンピックというと思い出す話がある。 まだ戦争前の話で、父が工業高校の学生だった頃のことである。 生まれた村の近くには高校が無かったので、 親元を離れて、同じ県内の都市で下宿生活をしていた。 食事付きの下宿で…

曽祖父と祖父のこと

父方の曽祖父は、釣り好きだった。 畑仕事は家人に任せて、 毎日釣り三昧の日々を送っていた。 腕前が良かったので、 美味しい魚のお土産を期待して、 家人もあまり咎めたりしなかった。 曽祖父には、子供がいなかった。 家はその辺りでは、古くからの地主だ…

色黒の理由

母が生まれて一週間も経たない頃、 すぐ上の兄が病気になった。 疫痢という伝染病で、隔離病棟に入院した。 祖母は、産後であることを隠して付き添った。 産後間もない身体で伝染病の隔離病棟に入ることは、 祖母の命をも危険に晒す行為であったし、 乳呑児…

祖母の話

私の祖母は、漁師の家に生まれた。 祖母が、未だ小さかった頃、 父親は海で死んだ。 大漁で港に戻る途中に、 船が転覆して亡くなったのだ。 父親がなくなった後、 母親は、祖母とその兄を残して、 他家に嫁いでいった。 残された兄妹は、 親類の家で育てられ…