おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

父の仕事 その3

父は、新しく会社を作るたびに、自宅を担保に銀行から借金をした。
自宅を借金の形に取られたことは一度もなかったが、
母は、気が気ではなかったようだ。

父自身は、借金を踏み倒したことは一度もなかったが、
父が貸した金は、ほとんど返してはもらえなかったようだ。
父も、人に金を貸すときは、あげるつもりで貸しているのだと、よく言っていた。
金が返せなくなったと、菓子折りを持って詫びに来る人もいた。
そんな時、母は、私たちに、

「これは10万円のバウムクーヘンだよ」

などと言いながら食べさせた。
当時は、意味が解らず、高級なお菓子なのだと思い込んでいた。
菓子パン一つが5円の時代の10万円は、
子供には想像がつかない金額であった。

父は、55歳で仕事を辞めた。
当時、一般的な定年は、すでに60歳まで延長されていたが、
昔から55歳で定年すると決めていたので、その通りにすると言って譲らなかった。

父を知る人は、父が金持ちだと誤解していた。
いくばくかの蓄えはあったが、
儲けることには熱心でなかったし、
どこに嫁ぐかわからない娘には質素な暮らしをさせるという教育方針だったので、
ぜいたくな暮らしは、していなかったと思う。
すき焼きに牛肉を入れるということを知ったのは、
社会人になってからだった。

晩年になって、父が、

「自分の生き方は馬鹿正直すぎたかもしれないなぁ」

と、漏らしたことがあった。
私が、後ろ暗い所が無い生き方を誇っていいのではないかと父に告げると、
父は、ちょっと照れくさそうに笑っていた。