おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

悔恨

最近読んだ本に、

 戦地に赴いた戦争経験者の多くが歴史の舞台から消えようとしている

といった内容のことが書かれていて、
7年前に亡くなった父のことを思い出した。

生前の父は、ことあるごとに、
特攻隊での戦争体験談やそれ以前の
裸足で野山を駆け回っていた少年時代の話を
私たちに語ってくれた。

父の話は、確かに興味深く面白い話だったが、
何年も同じ話を聞き続けるうち、飽きてしまって、
真面目に耳を傾けることが無くなっていった。

今、もう一度聞きたいと思っても、父はいない。
幾度となく聞いた話を思い出そうとしても、
僅かに断片的なエピソードが耳に残るばかりだ。

最近、物忘れが激しくなった母に父の事を聞いても、
記憶違いや勘違いが多くて、
尋ねたこちらが訂正する始末である。

母は、

 :私が話せるのは、内地で暮らしていた一般庶民の
  それも、とりわけ暢気な話ばかりだからねえ。

と、残念がったが、
それすらも貴重かもしれない。
試しに、戦時中の電気製品の話を聞いてみた。

 :空襲があるから電球は点けられなかったけれど、
  毎晩、ラジオは聞いていたと思うわ。
  壁にコンセントなんて洒落たものはなかったから、
  電灯の二股ソケットの片方から、
  いつもラジオのコードがぶら下がっていたのよ。
  今考えると鬱陶しいわよね。

他に、電気製品は無かったのか訊くと、

 :だいぶ後に電熱器が来たけれど、
  それはもう戦後のことだったと思うわ。

その後、母は、
戦中戦後の食糧事情について語りだしたが、
その内容は、また後日に譲りたい。