おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

大戦の記憶 その2

戦争体験を語らなくなった母の代わりに覚書として記す。

母の兄弟は、兄が二人と姉が一人、
その他にも生まれてすぐに亡くなった何人かがいたと聞いている。

一番大きい兄は、戦争がはじまると間もなく、徴兵されて大陸に渡った。
戦後は、シベリアの捕虜収容所で数年を過ごし、帰国した。
シベリアでのことは、一切語ろうとしなかったので、母からも何も聞いていない。
戦友たちとの集まりには、毎年出かけていくが、
家族には、当時のことを語らなかったという。
周りも、その気持ちを推し量って、何も聞かずに今に至っている。

母のすぐ上の兄は、学徒動員で輸送船の通信士として、南方へ赴いた。
一度、母に宛てた手紙を寄こし、

 こちらでは、お前に取られずにおやつを独り占めできる。

と、書いてあったそうだ。
家にいたころは、先に食べ終わってしまって、なお欲しがる妹に、
自分の分を分け与えていた、やさしい兄であった。
輸送船での帰路、日本近海ですれ違った船の通信士が急病になり、
交代でUターンし、そのままフィリピン沖で船が沈められ亡くなった。
遺骨は戻っていない。
届けられた白木の箱には、紙切れが1枚入っていただけだったそうだ。
兄が生まれた時に、占い師が
「この子は17まで生きられない」
と言ったそうだが、まさに、その時17歳であった。

祖父は、兄の死後、宗教にのめり込み、
資産の大半をその宗教団体に寄付した。
その教団が、どこかの山の上に黄金の仏像を建てたと聞いた時は、
そのほとんどが祖父のお金だと思ったものだ。

兄が出発する日、駅で見送った記憶が、
母が見た兄の最後の姿になった。
駅の階段を上り、最後の角を曲がる兄の姿は、
長らく母の脳裏に焼き付いた。