おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

大戦の記憶 その3

戦争体験を語らなくなった母に代わって覚書として記す。

東京大空襲の夜の記憶は、赤く染まった夜空を見上げていたことである。
住んでいた所は所謂山の手と呼ばれる地区だったので、
その夜の被害はなかった。
翌日から、祖父は、動員されて、
焼け跡に放置された遺体を収容する作業をした。
黒焦げになり、男女の判別すらつかない数多くの遺体を集め、
大きな穴を掘って埋めたのだそうだ。

 「子供には見せられない光景だった」

とだけ、母は伝え聞いたそうだ。
その日を境に、母の住んでいた辺りにも、
頻繁に爆撃機が飛来するようになった。
初めのうちは、警報が鳴ると真面目に防空壕に避難していたが、
だんだん慣れてくると、B29が爆弾を落とす位置で、
どのあたりに落ちるのかわかるようになって、

 「あれならここまでは来ない」

などと勝手に予測して、防空壕に入らないこともあった。

艦載機の機銃掃射を受けたのは、そんなころだった。
鉄道の線路際に家があったので、
その線路を目印に飛んでくる艦載機に狙われたようだ。
家の玄関前に立っていたので、咄嗟に家の中に飛び込んで助かった。
玄関の扉に機銃の玉が当たる音がしたと母は言っていた。

建物疎開といって、爆撃で焼かれる前に、
強制的に取り壊して更地にしてしまう所が増えた。
都心に近い方から順に取り壊されていて、
来週は、母の住む町も対象になるという所で、
敗戦を迎えた。

負けを悔しがる大人もいたが、
当時15歳の母は、ただただ、嬉しかったという。