おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

大戦の記憶

最近、母が戦争の話をしなくなった。
少し前までは、事あるごとに、
戦時中、食糧で苦労した話や
米軍艦載機の機銃掃射を受けた話や
東京大空襲の夜のことなどを繰り返し話していたのに、
ぱったりと話さなくなってしまった。

母の戦争体験談は、これまでも何度か書いてきたので重複するが、
今一度、ここに書き留めておきたいと思う。

母から聞いた日米開戦の日の記憶は、
祖父(母にとっては父親)が読んでいた新聞記事と、
それを読んでいた祖父が
「大変なことになった」
と、一言つぶやいていたことであった。

それから祖父は、家の庭を畑にして、
野菜を作り、庭先に大きな防空壕を掘った。
大工の祖父が作った防空壕は、
内部は畳が敷かれた座敷で、普通の部屋と同じようだった。
空き地では山羊を飼い、毎朝の乳しぼりが母の仕事になった。
乳を搾る時は、後ろ脚を縛っておかないと
バケツをひっくり返されてしまうと教えられていたが、
母は、面倒くさがってよくそれをしなかった。
結果、せっかく搾った乳をひっくり返されて、
山羊と喧嘩をした。
山羊は唾を吐かれるのが嫌いだと知っていたので、
母は、山羊に向かって唾を吐いて喧嘩をしたのだそうだ。

ほとんどミルクの残っていないバケツを下げて、
祖母(母の母)に
「今日はあまり出なかったよ」
と言い訳し、
「そうかい」
と、祖母も応じたが、
祖母はすべてお見通しのようであった。

防空壕も畑も、まだそんなに重要なものだとは思っていなかったが、
ほどなく、祖父が畑で作ったかぼちゃが主食になり、
そのせいで両手の肌の色が黄色くなったと後に母から聞かされた。