おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

父の仕事

自ら開発した電気部品を秋葉原の電気街で売り込むのが、
当時の父の仕事だった。
どこにも売っていないものだから、
その良さが伝われば、部品は瞬く間に売れた。

しかし、数か月後には、
大手の部品メーカーが、
類似品を格安で大量販売し始めて、
父の作ったものは売れなくなった。

父は、また新しいものを作って売り込み、
割高でも性能の良さで儲け、
数か月後には、再び、
大手メーカーに真似されるということを繰り返していた。

母と結婚したのは、そんな苦しい時代だった。

母の家に間借りしながら、
丁度、「サザエさん」でいうところの
マスオさんの状態で新婚時代を過ごした。

ただ、違っていたのは、
母方の祖父が大工だったので、
新婚夫婦にと、隣に家を新築してくれたことだ。
その後、同じ場所に父が自分で建てた家は、
その時に祖父が建てた家の3分の1の大きさだった。
祖父が建てた家は、大きかったが、職人の休憩所も兼ねていたので、
母が、家族だけの家を欲しがったのだろう。

その後、父は、信州に工場を作り、
その工場で、大手のメーカーにも負けない製品を作っていた。
信州の工場に行く日は、
家族そろって玄関で父を送り出した。
「いってらっしゃい」
というと、振り返って手を振るのだが、
「おみやげね!」
というと、振り返らないというのが、
姉たちの間で、話題になっていて、
私も試してみたが、確かにその通りだったのを覚えている。

父のお土産は、いつも、途中の駅の「釜めし」だった。
母は、陶器でできた釜を取っておいて、
食器の代わりにしたり、植木鉢にしたりして再利用していた。