おばあちゃんのnintendogs日記

ヤフーブログから引っ越してきました。

父の仕事 その2

信州の工場に行くことが増えて、父は留守がちになった丁度その頃、
父の弟たちが上京して一緒に住むようになった。

父の弟たちは、働きながら夜間高校に通っていたが、
幼いころは、よく遊んでくれた。
やがて、卒業すると、父の仕事を手伝うようになった。
父は、工場を弟に任せて、
自分は、友人が経営する出版社が傾きかけたのを助けたり、
別の知り合いのために、会社を設立したり、忙しく働いていた。

その頃、私は、小学校の授業で、父の仕事は何かと聞かれて困った事があった。
会社を作ったり、建て直したりする仕事だと説明すると、
それを聞いた教師は、

「そういうのは、実業家というのです。」

と、言った。
普通、両手で数えるほどの数の会社を作ったら、
それぞれに役員として名を連ねて、いくばくかの報酬をもらうものだと思うが、
父は、そういうことをしなかった。
逆に、経営を任せた後でも、立ち行かなくなったと聞くと、
運転資金を用立てたり、立て直しに行ったりするが、
うまくいっているところからは何も受け取らないという主義で、
母は、不満を漏らしていたこともあった。

最後に父が作った会社は、小さな建築会社だった。
母の姉の夫のために作った会社だったが、
経営が軌道に乗り、すべてを任せようと思った矢先、
その相手が病に倒れ、半身不随になってしまった。
父は、彼を役員にして定年するまで給料を払い続け、
退職後も年金が受け取れるようにした。

その頃、父の会社の給料の一覧表を見たことがある。
一番若い職人さんの給料よりも父の給料の方が安かったのが意外だった。

「社長の給料が一番安いんだね」

というと、父は笑いながら、

「大した仕事はしてないからな」
と言った。
儲けはすべて社員に還元するというのがポリシーだったようだ。