色黒の理由
母が生まれて一週間も経たない頃、
すぐ上の兄が病気になった。
疫痢という伝染病で、隔離病棟に入院した。
祖母は、産後であることを隠して付き添った。
産後間もない身体で伝染病の隔離病棟に入ることは、
祖母の命をも危険に晒す行為であったし、
乳呑児の母を置いていくことは、
母の生命をも諦めることを意味していた。
あの時は、それも覚悟していたと、
後に祖母は語っている。
生まれて間もない母は、
籠に入れられて、飯場に寝かされていた。
食事の時には、釜の隅に出来た重湯や、
米のとぎ汁を大工さんたちがかわるがわる飲ませていた。
そうして1週間、母は生き延びた。
兄の病状が安定して帰宅した祖母は、
母が生きていたことに驚いたそうだ。
小さい頃のあの経験があるから、
自分は滅多なことでは死なないと母は言う。
でも、兄弟の中で自分だけが色黒なのは
あの時、飯場で真っ黒に日焼けしたせいだと、
今でも思っているそうだ。
すぐ上の兄が病気になった。
疫痢という伝染病で、隔離病棟に入院した。
祖母は、産後であることを隠して付き添った。
産後間もない身体で伝染病の隔離病棟に入ることは、
祖母の命をも危険に晒す行為であったし、
乳呑児の母を置いていくことは、
母の生命をも諦めることを意味していた。
あの時は、それも覚悟していたと、
後に祖母は語っている。
生まれて間もない母は、
籠に入れられて、飯場に寝かされていた。
食事の時には、釜の隅に出来た重湯や、
米のとぎ汁を大工さんたちがかわるがわる飲ませていた。
そうして1週間、母は生き延びた。
兄の病状が安定して帰宅した祖母は、
母が生きていたことに驚いたそうだ。
小さい頃のあの経験があるから、
自分は滅多なことでは死なないと母は言う。
でも、兄弟の中で自分だけが色黒なのは
あの時、飯場で真っ黒に日焼けしたせいだと、
今でも思っているそうだ。