亡父とオリンピック
亡父がよく話していた思い出話で、
オリンピックというと思い出す話がある。
まだ戦争前の話で、父が工業高校の学生だった頃のことである。
生まれた村の近くには高校が無かったので、
親元を離れて、同じ県内の都市で下宿生活をしていた。
食事付きの下宿で昼の弁当も持たせてもらっていたが、
量が少なくて、弁当箱を振ると中身が3分の1くらいになってしまったそうだ。
その弁当を早弁で食べてしまい、いつも空腹だった。
町を歩いていると、因縁をつけてくるチンピラがいて、
よく、喧嘩をふっかけられたそうだが、
足が速かった父は、相手が手を出す前に、
一発殴って走って逃げるという手を使って、
いつも逃げおおせていたそうだ。
泳ぎも得意で、いつもは海で泳いでいたのだが、
ある時、珍しく町のプールで泳ぐ機会があった。
そこで、泳ぎが得意だった友人と、
そこにちょうど居合わせた人と3人で、泳ぎの競争をした。
海辺で育った父は、それまで泳ぎで負けたことは無かったが、
その人に、完膚なきまでに負けてしまった。
悔しくて、何度も挑んだが、とうとう勝てなかったそうだ。
その相手が、オリンピックの代表選手だったことを後で知らされた父は、
オリンピックの選手はすごいというたとえ話で、
子供たちに何度も繰り返し語っていた。
オリンピックというと思い出す話がある。
まだ戦争前の話で、父が工業高校の学生だった頃のことである。
生まれた村の近くには高校が無かったので、
親元を離れて、同じ県内の都市で下宿生活をしていた。
食事付きの下宿で昼の弁当も持たせてもらっていたが、
量が少なくて、弁当箱を振ると中身が3分の1くらいになってしまったそうだ。
その弁当を早弁で食べてしまい、いつも空腹だった。
町を歩いていると、因縁をつけてくるチンピラがいて、
よく、喧嘩をふっかけられたそうだが、
足が速かった父は、相手が手を出す前に、
一発殴って走って逃げるという手を使って、
いつも逃げおおせていたそうだ。
泳ぎも得意で、いつもは海で泳いでいたのだが、
ある時、珍しく町のプールで泳ぐ機会があった。
そこで、泳ぎが得意だった友人と、
そこにちょうど居合わせた人と3人で、泳ぎの競争をした。
海辺で育った父は、それまで泳ぎで負けたことは無かったが、
その人に、完膚なきまでに負けてしまった。
悔しくて、何度も挑んだが、とうとう勝てなかったそうだ。
その相手が、オリンピックの代表選手だったことを後で知らされた父は、
オリンピックの選手はすごいというたとえ話で、
子供たちに何度も繰り返し語っていた。