石鹸

その日、母の家を訪ねると、
母は、くたびれ果てた様子で話し始めた。

　：湯船の裏側に石鹸を落としちゃってね。

なんでも、姉に旅行の土産で貰った高級な石鹸を
使い始めたその日に湯船と風呂釜の隙間に落としてしまったらしい。
緑茶成分入りの滑らかな泡立ちで、
母もすごく気に入っていたので、
なんとかして拾おうと長い棒で掻き出そうとしたが上手くいかず、
それなら水圧で押し出せないかと、
湯船の裏からホースで水を流したりもしたが、
風呂釜の下に入り込んでしまって取れず、
その晩は、仕方なくそのまま寝たが、
翌朝になっても諦めきれず、
湯船の化粧板を外して取ろうとしたらしい。

風呂場に行ってみると、
すっかり剥き出しになった湯船に、
１メートルの物差しやら、
ゴムホースやらが散乱していて、
母の苦闘を物語っているようだった。

それで落とした石鹸は取れたのかと母に聞くと、

　：もちろんよ。
　　でも、落とした石鹸で顔を洗うのはちょっとねぇ。

と、洗面所の縁にちょこんと置かれた石鹸を指差しながら笑った。