母の戦争体験談
8月15日が近づくと、
毎年、母は戦争体験を語ってくれる。
もう幾度と無く聞いている同じ話なのだが、
実話の重みとでも言うのだろうか、
その度に聞き入ってしまう。
体験談と言っても、
母は、戦争中もずっとこの町で暮らしていたので、
学校工場の話や空襲の話が主である。
母が女学校(今で言うと中学校)の途中から、
授業は無くなり、学校は軍服を縫う工場になった。
毎日、軍服のズボンの右足ばかりをミシンがけしていたそうだ。
東京は下町の方から順に空襲で焼かれ、
母の住む山の手の一帯も、
焼かれる前に家屋を壊す作業が進んでいた。
翌週には母の家が取り壊しになるというところで、
終戦を迎えた。
母の住む町は空襲を受けずに済んだが、
3月の東京大空襲の折には、
祖父が遺体の片付けにかりだされ、
鳶口を持って出かけていったそうだ。
母が、帰ってきた祖父に様子を聞いたが、
祖父は何も語らず、ただ、
「あんな光景は、お前たちには見せられない」
とだけ言っていたそうだ。
終戦後、夜、明かりをつけても大丈夫だと言われたが、
一週間ぐらいは、怖くてできなかったと母は言う。
最近、近所にビルが建ち、
リビングに日が当たらなくなって、
薄暗い中で昼ご飯を食べていた母が、
:戦争中を思い出すねえ。
と、しみじみ言いながら部屋の明かりをつけた。
毎年、母は戦争体験を語ってくれる。
もう幾度と無く聞いている同じ話なのだが、
実話の重みとでも言うのだろうか、
その度に聞き入ってしまう。
体験談と言っても、
母は、戦争中もずっとこの町で暮らしていたので、
学校工場の話や空襲の話が主である。
母が女学校(今で言うと中学校)の途中から、
授業は無くなり、学校は軍服を縫う工場になった。
毎日、軍服のズボンの右足ばかりをミシンがけしていたそうだ。
東京は下町の方から順に空襲で焼かれ、
母の住む山の手の一帯も、
焼かれる前に家屋を壊す作業が進んでいた。
翌週には母の家が取り壊しになるというところで、
終戦を迎えた。
母の住む町は空襲を受けずに済んだが、
3月の東京大空襲の折には、
祖父が遺体の片付けにかりだされ、
鳶口を持って出かけていったそうだ。
母が、帰ってきた祖父に様子を聞いたが、
祖父は何も語らず、ただ、
「あんな光景は、お前たちには見せられない」
とだけ言っていたそうだ。
終戦後、夜、明かりをつけても大丈夫だと言われたが、
一週間ぐらいは、怖くてできなかったと母は言う。
最近、近所にビルが建ち、
リビングに日が当たらなくなって、
薄暗い中で昼ご飯を食べていた母が、
:戦争中を思い出すねえ。
と、しみじみ言いながら部屋の明かりをつけた。