母の日記・万博
母とテレビを見ていたら、愛知万博のニュースをやっていた。
:思い出すわねぇ。
母が、意味ありげに笑った。
我が家では、万博というと必ず語られる思い出がある。
昔、母子だけで行った大阪万博での出来事である。
大阪万博の会場で、私が貧血を起こしたために、
当初の予定が大幅に狂い、
夕食も取らずに、帰路につく羽目になった。
辿り着いた大阪駅の食堂街も閉店していた。
母は、後かたづけをしている店員を呼び止め、
何か食べる物を売って欲しいと頼んだ。
もう閉店だから何もないと言う店員に、
:お願いします!そこにあるじゃない!
と、食い下がる母、
後ろで見ていた私たちは、母を押しとどめるようにこう言った。
:おかあさん、それ、食べられないよ。
それは、よく出来た食品サンプルだった。
結局、そのまま夜行列車に乗り、弁当にありつけたのは、
明け方の三島の駅でだった。
nintendogs的にいうなら、
ペコカラの状態であったという次第である。
:思い出すわねぇ。
母が、意味ありげに笑った。
我が家では、万博というと必ず語られる思い出がある。
昔、母子だけで行った大阪万博での出来事である。
大阪万博の会場で、私が貧血を起こしたために、
当初の予定が大幅に狂い、
夕食も取らずに、帰路につく羽目になった。
辿り着いた大阪駅の食堂街も閉店していた。
母は、後かたづけをしている店員を呼び止め、
何か食べる物を売って欲しいと頼んだ。
もう閉店だから何もないと言う店員に、
:お願いします!そこにあるじゃない!
と、食い下がる母、
後ろで見ていた私たちは、母を押しとどめるようにこう言った。
:おかあさん、それ、食べられないよ。
それは、よく出来た食品サンプルだった。
結局、そのまま夜行列車に乗り、弁当にありつけたのは、
明け方の三島の駅でだった。
nintendogs的にいうなら、
ペコカラの状態であったという次第である。