ゲームの思い出・ハイパーオリンピック
私がこのファミコンのゲームで遊んだのは、
1986年6月のことであった。
このゲームは、それ以前に、
ゲームセンターで何度か遊んだことがあったので、
お店でこのゲームが売られていたのを見つけた時は、
飛びつくように専用コントローラーとセットで購入した。
オリンピックの陸上種目がゲームになったもので、
専用コントローラーの2個のボタンを交互に連打して、
画面の中の選手にいい記録を出させるゲームであるが、
どんなに私が大汗をかきながら、
両手の人差し指でばたばたとボタンを叩いても、
なかなか対戦相手である夫の記録を
塗り替えることは出来なかった。
ある時、ボタンを叩きすぎて手が痛くなり、
ふと思いついて、
近くにあったボールペンの軸を
2個のボタンの間に置き、
水平にこするように動かしてみたら、
画面の中の選手が、いきなり新記録を出した。
昔よく行ったゲームセンターの筐体の
2個のボタンの周りに無数の傷が付いていた意味が、
この時、ようやくわかったのだった。
思いがけないことで攻略法を見出したこのゲームだが、
対戦してもつまらなくなり、
それ以来、遊ばなくなってしまった。
1986年6月のことであった。
このゲームは、それ以前に、
ゲームセンターで何度か遊んだことがあったので、
お店でこのゲームが売られていたのを見つけた時は、
飛びつくように専用コントローラーとセットで購入した。
オリンピックの陸上種目がゲームになったもので、
専用コントローラーの2個のボタンを交互に連打して、
画面の中の選手にいい記録を出させるゲームであるが、
どんなに私が大汗をかきながら、
両手の人差し指でばたばたとボタンを叩いても、
なかなか対戦相手である夫の記録を
塗り替えることは出来なかった。
ある時、ボタンを叩きすぎて手が痛くなり、
ふと思いついて、
近くにあったボールペンの軸を
2個のボタンの間に置き、
水平にこするように動かしてみたら、
画面の中の選手が、いきなり新記録を出した。
昔よく行ったゲームセンターの筐体の
2個のボタンの周りに無数の傷が付いていた意味が、
この時、ようやくわかったのだった。
思いがけないことで攻略法を見出したこのゲームだが、
対戦してもつまらなくなり、
それ以来、遊ばなくなってしまった。