母の日記・昔話
未だ骨折療養中で、母に会いに行かれないので、
母の生まれた頃のことを書いてみる。
母は、昭和5年生まれ。
その頃は、東京郊外では、まだ、
狸や狢が見られたという話だが、
母の言う事なので、
話半分に聞いている。
母は、大工の棟梁の家に生まれた。
家には、大勢の職人さんがいたという。
母が生まれてすぐに、
母の兄が猩紅熱にかかって入院し、
祖母は、母に乳を与える暇も無く、
入院した母の兄の看病に付きっ切りであった。
母は、その間、職人さんたちの休憩所に
籠に入れられて置かれ、
毎日、おもゆを貰って命を繋いでいたそうだ。
1週間後、帰って来た祖母は、
母が生きていたことに驚いたと言う。
丈夫に生まれついたためか、
母は、現在に至るまで、
大きな病気は、あまりしなかったらしい。
母の生まれた頃のことを書いてみる。
母は、昭和5年生まれ。
その頃は、東京郊外では、まだ、
狸や狢が見られたという話だが、
母の言う事なので、
話半分に聞いている。
母は、大工の棟梁の家に生まれた。
家には、大勢の職人さんがいたという。
母が生まれてすぐに、
母の兄が猩紅熱にかかって入院し、
祖母は、母に乳を与える暇も無く、
入院した母の兄の看病に付きっ切りであった。
母は、その間、職人さんたちの休憩所に
籠に入れられて置かれ、
毎日、おもゆを貰って命を繋いでいたそうだ。
1週間後、帰って来た祖母は、
母が生きていたことに驚いたと言う。
丈夫に生まれついたためか、
母は、現在に至るまで、
大きな病気は、あまりしなかったらしい。