ゲームの思い出・パンチアウト
1987年6月、ファミコンディスクシステムのゲームで、
「ゴルフUSコース」というのがあった。
シャッター付の青いディスクで、
良い成績を出してお店にもって行くと、
お店に置いてある機械から全国ランキングに登録が出来た。
夫と二人で散々遊んで何回も登録しに行った。
登録の締め切り後に、
1本のゲームが我が家に送られてきた。
金色のカセットの海外版「パンチアウト」だった。
どうやら、夫が出したホールインワンのデータが、
ホールインワン賞に当選したらしかった。
当時、「パンチアウト」は、まだ日本では発売されておらず、
このソフトが欲しくて、前述のゴルフを遊んでいた私は、
凄く嬉しかったのを覚えている。
しかし、「パンチアウト」は、なかなかに難しく、
私も夫も3人目を倒すのがやっとだった。
唯一、息子だけが、ラウンドとラウンドの間に出る
英文の会話の内容を私がかいつまんで教えることで、
対戦相手の弱点を探り当て、
このゲームの最後の敵と対峙することが出来た。
敵が手強く、半べそをかいている息子を
夫と二人で励ましながら、ついにエンディングにたどり着いた。
このときの感動は、忘れられないが、
ほどなくして、「マイク・タイソンのパンチアウト」として、
日本でも発売になることを知った時のショックも、
また、忘れられない思い出である。
「ゴルフUSコース」というのがあった。
シャッター付の青いディスクで、
良い成績を出してお店にもって行くと、
お店に置いてある機械から全国ランキングに登録が出来た。
夫と二人で散々遊んで何回も登録しに行った。
登録の締め切り後に、
1本のゲームが我が家に送られてきた。
金色のカセットの海外版「パンチアウト」だった。
どうやら、夫が出したホールインワンのデータが、
ホールインワン賞に当選したらしかった。
当時、「パンチアウト」は、まだ日本では発売されておらず、
このソフトが欲しくて、前述のゴルフを遊んでいた私は、
凄く嬉しかったのを覚えている。
しかし、「パンチアウト」は、なかなかに難しく、
私も夫も3人目を倒すのがやっとだった。
唯一、息子だけが、ラウンドとラウンドの間に出る
英文の会話の内容を私がかいつまんで教えることで、
対戦相手の弱点を探り当て、
このゲームの最後の敵と対峙することが出来た。
敵が手強く、半べそをかいている息子を
夫と二人で励ましながら、ついにエンディングにたどり着いた。
このときの感動は、忘れられないが、
ほどなくして、「マイク・タイソンのパンチアウト」として、
日本でも発売になることを知った時のショックも、
また、忘れられない思い出である。