ゲームの思い出・デッドゾーン
1986年12月、ファミコンの
ディスクシステム用のソフトとして発売されたこのゲームは、
私にとって忘れ難い作品である。
ファミコンを購入して半年、
この頃までに30本ほどのゲームで遊んでみて、
その中にも、ストーリー性を持つ作品もあるにはあったが、
ゲームの画面で語られるのは、どれも単純なものばかりで、
私の心を揺さぶるようなものではなかった。
だから、ゲームではそういう感動は得られないと、
はじめから思い込んでいた。
「デッドゾーン」も、
脱出アドベンチャーとして、
謎解きを楽しもうと思って買ったのだった。
最初の部分では躓きもあったが、
慣れれば、後は順調に謎も解けていった。
しかし、このゲームの最大の見せ場は
謎解きではなかった。
エンディング画面を見ながら、
私は、初めてゲームで涙を流した。
ゲームのストーリーでこんなに泣いたのは、
この「デッドゾーン」を除けば、
「ドラゴンクエスト5」のパパスのイベントぐらいのものだ。
荒いドット絵の紙芝居のようなゲームでも
ここまで人を感動させられることに、
驚きと敬意を感じた私は、
以来、私にとってのベストゲームは何かを問われた時には、
「デッドゾーン」と答えることにしている。
ディスクシステム用のソフトとして発売されたこのゲームは、
私にとって忘れ難い作品である。
ファミコンを購入して半年、
この頃までに30本ほどのゲームで遊んでみて、
その中にも、ストーリー性を持つ作品もあるにはあったが、
ゲームの画面で語られるのは、どれも単純なものばかりで、
私の心を揺さぶるようなものではなかった。
だから、ゲームではそういう感動は得られないと、
はじめから思い込んでいた。
「デッドゾーン」も、
脱出アドベンチャーとして、
謎解きを楽しもうと思って買ったのだった。
最初の部分では躓きもあったが、
慣れれば、後は順調に謎も解けていった。
しかし、このゲームの最大の見せ場は
謎解きではなかった。
エンディング画面を見ながら、
私は、初めてゲームで涙を流した。
ゲームのストーリーでこんなに泣いたのは、
この「デッドゾーン」を除けば、
「ドラゴンクエスト5」のパパスのイベントぐらいのものだ。
荒いドット絵の紙芝居のようなゲームでも
ここまで人を感動させられることに、
驚きと敬意を感じた私は、
以来、私にとってのベストゲームは何かを問われた時には、
「デッドゾーン」と答えることにしている。