ゲームの思い出・ディープダンジョン3
このディープダンジョンシリーズが初めて発売されたのは、
1986年、ファミコンのディスクシステムだった。
翌年には、2が、ディスクシステムで、
更にその翌年には、3が、ファミコンのカセットで発売された。
遊園地の巨大迷路を彷彿とさせる、主観視点のダンジョン探索は、
このシリーズによって、私の好きな分野になった。
新しい方眼紙をたくさん買い込んで、マッピングに精を出した。
ちょうどその頃、”新・鬼ヶ島”で、すっかりゲームファンになった私の夫が、
このゲームに興味を持った。
その夜、自分では決して取扱説明書を読まない夫に、
この、”ディープダンジョン3”の操作方法を教え、
子供と共に一足先に休んだ。
夜中、まだ居間の灯りが点いていたので、
様子を見に行ってみると、
ゲームを始めてからずっと、
始まりの町の中から出られずにいる夫がそこにいた。
”ディープダンジョン3”では、始まりの町も
主観視点の迷路の中にある。
結局、夫は、一歩も町の外に出ることなく
このゲームを止めたのであった。
それ以来、この手のゲーム(ウィザードリィなど)で遊んでいる時には、
夫の視線が普段よりも冷ややかである。
1986年、ファミコンのディスクシステムだった。
翌年には、2が、ディスクシステムで、
更にその翌年には、3が、ファミコンのカセットで発売された。
遊園地の巨大迷路を彷彿とさせる、主観視点のダンジョン探索は、
このシリーズによって、私の好きな分野になった。
新しい方眼紙をたくさん買い込んで、マッピングに精を出した。
ちょうどその頃、”新・鬼ヶ島”で、すっかりゲームファンになった私の夫が、
このゲームに興味を持った。
その夜、自分では決して取扱説明書を読まない夫に、
この、”ディープダンジョン3”の操作方法を教え、
子供と共に一足先に休んだ。
夜中、まだ居間の灯りが点いていたので、
様子を見に行ってみると、
ゲームを始めてからずっと、
始まりの町の中から出られずにいる夫がそこにいた。
”ディープダンジョン3”では、始まりの町も
主観視点の迷路の中にある。
結局、夫は、一歩も町の外に出ることなく
このゲームを止めたのであった。
それ以来、この手のゲーム(ウィザードリィなど)で遊んでいる時には、
夫の視線が普段よりも冷ややかである。