ゲームの思い出・プロサッカークラブをつくろう
私が、このセガサターンのゲームで遊んだのは、
1998年2月のことであった。
同じ月に買った「プロ野球チームもつくろう」というゲームが面白かったので、
その余勢を駆って、
本家ともいえるこのゲームを遊んでみたいと思ったのだ。
野球は、大リーグファンの夫に頼まれて、
平日の試合のスコアブックを書けるくらい詳しかったが、
サッカーは、小学校の体育の時間でかじった程度だったので、
ほとんどの知識をこのゲームで学ぶことになった。
最初の2年間はほとんど勝つことすら間々ならなかったチームも、
年を重ねるごとに強くなり、
何とかJリーグのトップに君臨するチームに成長した。
このゲームでは、オリジナル選手を作って、
自分のチームの選手にすることが出来るのだが、
調子に乗った私は、自分の作った選手に、
「世界の至宝」という異名をつけて登録した。
デビュー前から「世界の至宝」と呼ばれたその選手は、
出場するたび、一発レッドカードを貰い、
とうとう最後まで、たいした活躍をすることなく終わった。
そんな私の間抜けなプレーを見て育った息子は、
いつの間にか、ちゃっかり自分のチームを登録し、
いつの間にか、Jリーグで何年間も無失点を続ける
堅実な守りのチームを作り上げていた。
1998年2月のことであった。
同じ月に買った「プロ野球チームもつくろう」というゲームが面白かったので、
その余勢を駆って、
本家ともいえるこのゲームを遊んでみたいと思ったのだ。
野球は、大リーグファンの夫に頼まれて、
平日の試合のスコアブックを書けるくらい詳しかったが、
サッカーは、小学校の体育の時間でかじった程度だったので、
ほとんどの知識をこのゲームで学ぶことになった。
最初の2年間はほとんど勝つことすら間々ならなかったチームも、
年を重ねるごとに強くなり、
何とかJリーグのトップに君臨するチームに成長した。
このゲームでは、オリジナル選手を作って、
自分のチームの選手にすることが出来るのだが、
調子に乗った私は、自分の作った選手に、
「世界の至宝」という異名をつけて登録した。
デビュー前から「世界の至宝」と呼ばれたその選手は、
出場するたび、一発レッドカードを貰い、
とうとう最後まで、たいした活躍をすることなく終わった。
そんな私の間抜けなプレーを見て育った息子は、
いつの間にか、ちゃっかり自分のチームを登録し、
いつの間にか、Jリーグで何年間も無失点を続ける
堅実な守りのチームを作り上げていた。